3/4(火)衆議院本会議 れいわ新選組
くしぶち共同代表、予算案に対する反対討論!
れいわ新選組 公式チャンネル https://www.youtube.com/@official_reiwa
【LIVE!】衆議院本会議 くしぶち万里の国会質問!(2025年3月4日 15時30分~)の一部を引用しています。
→ https://www.youtube.com/watch?v=S_EKirPOTiA
詳細をご覧になりたい方は、上のリンクからご覧ください。
【用語解説・参考資料】
●民のかまど
【理念と経営】中小企業を活性化し、成功を探求する経営誌
「民のかまど」に象徴される精神文化は消えてしまうのか
https://www.rinen-mg.co.jp/trinity/management/entry-4403.html
各界の陋習は革新していかなければならない
日本の神話で、仁徳天皇の治世のエピソードとして「民のかまどの話」は有名です。人の上に立つ治世者のあるべき姿・理想像として語り継がれてきました。
ご退位される今上天皇・美智子皇后陛下のお言葉は、仁徳天皇の御心にも通じます。仁徳天皇の高貴さを偲ぶエピソードにふさわしく、「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」という和歌として読まれています。
仁徳天皇が高台に登ってみると、人家の「かまど」から炊煙が立ち上っていないことに気づかれました。そこで租税を免除し、民の生活が豊かになるまでは、お食事も着るものも倹約され、さらに、宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったのです。これが日本人の精神文化です。日本の指導者のあるべき姿を語るにふさわしいものです。
※陋習(ろうしゅう)とは。いやしい習慣。悪い習慣。
【DIAMOND oline】
仁徳天皇は即位後、民家のかまどから煙が出ていないことに気づき、「民衆は食事を準備できないほど貧しいのか」と考えた。そして3年間は税金の徴収をやめたところ、民家のかまどから煙が出るようになったというエピソードである。
https://diamond.jp/articles/-/321164#:~:text=%E4%BB%81%E5%BE%B3%E5%A4%A9...
●石橋湛山 自主外交
湛山が、対米一辺倒外交ではなく、自主外交を主張した点にも共鳴する
東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/287210
没後半世紀の「石橋湛山」がなぜ注目される?
戦前はジャーナリストとして日本の植民地政策や日独伊軍事同盟に反対し、戦後は衆院議員として米国依存からの脱却を目指し、首相にもなった石橋湛山。世界平和に向け、日中米ソ平和同盟構想も提唱した。没後50年の今年、超党派の国会議員約40人が「石橋湛山研究会」を立ち上げ、その湛山の考えを学び直している。なぜ今、湛山なのか。世界の分断が進むこの時代に、湛山を学ぶと、何が必要なのかも見えてきそうだ。
●石橋湛山(いしばし・たんざん) 1884〜1973年。東京市麻布区(現・港区)生まれ。
父は日蓮宗僧侶。早稲田大哲学科を経て、11(明治44)年、東洋経済新報社に入社。植民地放棄や世界自由貿易を提起し、日独伊軍事同盟を批判(削除処分)。大東亜共栄圏構想も否定した。46年、戦後初の総選挙に自由党から出馬し落選。吉田内閣で蔵相に登用されるが、GHQと対立し47年、公職追放。51年の追放解除後、吉田茂首相を批判、2度の自由党除名処分を受ける。54年、第1次鳩山内閣で通産相に就任。56年、自民党初の総裁選で勝利し首相に就任するが、病気のため2カ月で辞任した。59年、訪中し周恩来首相らと会談。60年、岸信介首相に安保改定条約の審議延期と退陣を要求、61年には「日中米ソ平和同盟」構想を発表した。